食品パッケージのユニバーサルデザイン化に注力すべき時代  
−2003年3月6日 掲載−
(本コラムは、代表の塩路忠彦が執筆し、関西電力のメールマガジン“Insight” 2003年2月3日・第27号の“My Opinion欄”に掲載されたものです)
 

高齢の母親と同居しているのだが、最近、食品パッケージのバリアフリー化の必要性を、痛感している。

道具を使わなくてもパッケージが簡単に開けられることを、「易開封性」と呼んでいる。それは何も高齢者や障害者だけが必要とする機能ではなく、健常者にとっても、快適な食生活のためには必要だ。

確かにこれまでの時代は、企業は「美味しいものを、如何に安く作るか」に向けて開発を進めれば「良し」とされて来た。しかし今や、高付加価値商品として、消費者にとって取り扱いが簡便なパッケージが求められている。現在の商品開発と、それに取り組む経営姿勢を、今一度、見直すべき時代に来ているのではないだろうか。

これらをテーマに、すでに以前から議論が続けられて来てはいる。しかし現実にスーパーなどで日常的に販売されている食品の中には、高齢者が開けにくいだけではなく、健常者、一般生活者にとっても、何とも開けにくい商品が実に多い。

スライスハムの真空パッケージなど、上下に密着した透明フィルムを剥がすのは実に苦痛だ。最近は、塩こぶなど、ファスナー付の袋入りの食品も増えているが、印刷文字が小さくて切口が分からず、誤ってファスナーの部分を切ってしまう。

豆腐やゼリーなどのカップ状の容器も、開けるのに苦労を強いられる。小さなカップ入りのコーヒーミルクは、ミルクが飛び散らないように用心深く開けなくてはいけない。 寿司や餃子などについている小袋入りの醤油や生姜、タレなどは、消費者の多くは、手を汚さずに開けているのだろうか。プラスチックの容器に入った“ご飯”は、チンするだけで美味しく食べられて好評のようだが、頑丈にシールされた蓋を高齢者や障害者が開けるのは容易ではないだろう。

レトルト食品を開けるためにハサミを使うと、刃に食品がついて、切れ味が悪くなってしまう。プルトップ式の缶詰が増えているが、これも指先の力の弱った高齢者は、容易には開けられない。クッキーや海苔の缶をシールしているセロハンテープの端を探すのに、誰もが悪戦苦闘した経験を持っていることだろう。

こういった状態では、「完成した商品」と言い切るには抵抗がある。独り住まいの高齢者は、どうやって食事をしているのかと心配にさえなってくる。

他方、新幹線の駅弁などでは、縛ったテープの長手方向には切れないが、直角方向には、どの個所からでも指先で簡単に切れる透明のテープが使われていて、おおいに助かる。共生の時代を迎えて、こういったパッケージのユニバーサルデザイン化の研究開発に、ぜひ積極的に取り組んでほしい。

商品を開発製造している企業の社長さん方も、その中身を試食して適否を評価するだけではなく、消費者の身になって自分の手でパッケージを開けてみて、試していただきたい。視覚的なデザインの良し悪しだけに偏ることなく、易開封性の観点から、人間工学を重視したパッケージに期待している。

実は今のご時世は、商品を売った時点でメーカーの責任が終わるのではなく、消費者が美味しく楽しく食べ終わり、そのパッケージも手軽に環境にやさしく廃棄できるという一連が完結して初めて、企業の責任が完了するのだと認識すべきだろう。美味しくて、栄養価があり、安全で、見栄えが良ければ、それで十分なのではなく、パッケージの易開封性も、メーカー責任のひとつであり、重要な商品価値と見なすべきだ。

また消費者も、だだ安さを求めるだけではなく、「快適な商品」も選択の要因のひとつとすべきだし、消費者が改善を強く求めなければ、普及に向けて動き出さない。

高齢者も障害者も、言うまでもなく健常者も、快適な食生活を送るために、食品メーカーは消費者の立場に立って、ユニバーサルデザイン化による易開封性の改善に、これまで以上に注力していただきたいと願うものだ。

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