新聞というメディアこそ、大胆な“構造改革”が必要  
−2004年1月7日 掲載−
 

【新聞の購買動機は何か】
 新聞を眺めていて、ふと、疑問に思うことがある。
 特に経済面には、「急激な社会の変動に敏感に対応すべきだ・・・」「常に革新を怠ってはならない・・・」「過去の栄光に執着することなく、斬新で大胆な構造改革が必要だ・・・」などの趣旨のフレーズが散見される。  では、かく言う新聞業界自体は、時の流れに乗って事業を行っているのだろうか、あるいは社会の模範生としての使命を十分に果たしているのだろうか。
 
 高名なジャーナリストやオピニオンリーダーたちが、「あの新聞は『○○寄り』だ」とか、「〇〇に偏向している」「報道姿勢に疑問がある」などの論評を加えることがある。その一方で読者は、新聞を選択し購読するにあたって、新聞社の 編集綱領や報道姿勢を、どれほど強く意識しているのだろうか。

 実態は、経済関連記事に強いからとか、地元情報に強いから、自分がひいきにしているプロ野球チームの系列だから、購読料が安いから、文字が大きくて読みやすいから、高校入試の問題に引用されることがあるからなど、他愛のない理由で選択していることもある。  ややもすると、近くのスーパーの特売情報を盛り込んだチラシが折り込まれているからとか、新聞勧誘員が洗剤をくれたから、親が取っていたから、雨の日にはポリ袋に入れて配ってくれるからなどの購読動機も、聞こえてくる。  あれほどコスト意識に敏感な人々なのに、各紙の記事の内容を詳細に比較検討 して選択しているという例を、私は、ほとんど耳にしない。

 つまり、情報の送り手である新聞社が取材網を駆使して紙面作りに心血を注いでいるにもかかわらず、残念ながら、その情熱とは全く懸け離れた動機で新聞を購読しているという現実がある。  報道姿勢を客観的に観察しながら熟読している読者は、恐らく、少数派だろう。

【新聞界には変革が急務】
 先日、横浜の関内にある日本新聞博物館を訪問する機会があった。国内初の日刊新聞は1870年(明治3年)に誕生したというから、130年もの歴史がある。その間に新聞というメディアは、紙面サイズの拡大、増ページ、コンピュータによる製作の自動化、カラー化、通信網を駆使した速報化などを経ながら、大きく成長してきた。
 その結果として今日の新聞の姿が存在しているとともに、“メディアの覇者”としての地位を確保して来た。しかし歴史が長いにもかかわらず、業態は根本的には変わっていない。

 今日のビジネスでは、カスタマー・サティスファクション(顧客満足)が最重要課題のひとつとされている。では新聞の紙面は、個々の読者の要望を十分に満たして作られているのだろうか。印刷媒体である以上、限られたスペースに多くのニーズを盛り込むためには、最大公約数的になるのは認めざるを得ない。とは言うものの、私にとって読みたくなる記事の面積が1割に満たないのは、如何な ものか。どうにも、新聞社のお仕着せに思えて仕方がない。
 
 第一線の記者が1分1秒の速報取材を競い、紙面作りを急いでも、高速輪転機で印刷して工場からトラック輸送しバイクで宅配している現状では、物流システムが速報体制のネックになっている。テレビやインターネットなどの電子メディアに太刀打ち出来るはずがない。
 選挙のたびに「速報体制」を採っても、翌日の朝刊では、前夜にテレビで見た結果を「念のために活字で確認する」程度の役割でしかない。
 高校野球の試合で勝利して歓喜に沸く球児をテレビのニュース番組で見ていながら、手にした新聞には6回までの得点しか掲載されていなかったりする。
 ラジオ・テレビ欄では、自分がほとんど見聞きしない局や電波の届かない局の番組が載っていることもある。また、個々の番組の内容説明も、非常に大雑把だ。
 新聞メディアの在り方を根本から見直し、変革への道を急ぐべきだろう。

【新聞の将来像の提言】
 ここで、新聞の将来像についての大胆な提言をしたい。
 まず、工場での集中印刷は廃止して、新聞販売店における分散印刷に切り替えることだ。新聞社で編集した紙面のデータを、各読者の地域を担当する販売店に通信回線で伝送して高速印刷し、宅配する。トラック輸送が不要になるため、交通渋滞が緩和され、さらに災害時の報道体制も強化される。言わば、新聞の“編製分離”と言えるだろう。
 販売店をスキップして読者のパソコンにデータを直接送り届ける考え方もあるが、紙に印刷した状態で自宅に届けることで、親和性が高くなり、プッシュ型のメディアのスタイルが維持できる。

 紙面は現在の折りたたみ型をやめて、印刷と宅配がしやすく切り抜きもしやすいA4サイズの“冊子型”にする。データのフォーマットを統一すれば、一台の端末機で各紙の印刷が出来る。コンビニや駅のキオスクにも印刷機を置いておけば、販売数だけ印刷すればいい。大口顧客である企業や団体などでも、印刷機を置いて印刷する。

 さらに、読者が関心を持っている記事を個別に印刷するために、読みたい項目を月毎に事前に選択しておく受注紙面構成、つまり“オンデマンド型新聞”の形態にする。料金は従量制とし、選択した項目数に応じて課金する。
 総合ページは共通にして、たとえば家庭向けの情報が欲しい人には家庭記事を、スポーツでゴルフを選択した人にはゴルフの記事を詳しくするといった具合に。大阪の読者で北海道の情報が欲しい人には、北海道の項目を選択しておけばその地域の情報を印刷する。
 テレビ放送のデジタル化によって多チャンネル化と柔軟な番組編成が定着すると、“ラジオ・テレビ欄”は、現実問題として掲載は出来なくなる。「ラジオ・テレビの番組はパソコンでチェックするから要らない」と言う人、あるいは株式や会社の人事異動には興味はない人は、それを“選択”しなければ良い。

 電子メディアと速報で争うことは不可能だから、むしろ、分析力や解説力に重点を置いた編集スタイルで差別化を図る。したがって、夜明け前に朝刊を戸別配達をするなどの必要はなく、日中に届ければいい。

 広告も、たとえば、読者が住んでいる地域に近いスーパーマーケットの特売広告を印刷し、そこに印刷されたクーポンを読者が切り取って持って行けば安くしてもらえるなどのサービスをすれば、折込チラシの機能を持たせることも出来るだろう。

 つまり、読者毎の要求に基づいた内容で、地元で印刷し、昼間に各戸に届ける方式の新聞の姿を採るべきだと考えている。

【まとめ】
 今日、テレビの速報体制の強化、インターネットの普及、活字離れやフリーペーパーの増加など、新聞界を取り巻く業界環境の変貌は著しい。テレビとインターネットがあれば、新聞記事の情報を容易に、いち早く入手することが可能となった。
 それらが情報メディアとして、社会に対する強大な影響力を確保している今日、新聞が大衆の声を代弁し、世の中の“情報覇権”を握っていた時代は終焉期を迎えている。
 ややもすれば新聞が、「一応、毎日手にしないと落ち着かなくて・・・」、なかには「暇つぶし」という、極端に言えば、“癒し系”の媒体になりつつある。私の周りには、自宅での新聞の定期購読をやめてしまった人や、購読紙を減らす人も増え始めた。

 毎日戸別配達される活字メディアの新聞が持つ権威性と親和性という特性は、一朝一夕に崩れるはずはない。しかし、よその業界を批判ばかりしている状況ではないはずだ。
 新聞というメディア文化こそ、社会の変化の胎動から取り残される前に、足元に対する“構造改革”を施すことが急務であると痛感している。

   <参考>
      コラム「メディアの万華鏡“インターネットと新聞の新しい関係”」


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