「“国民PC計画”を進めよう」 − 2001年1月22日 掲載
 

かつて“国民車構想”というのがあった。1955年に当時の通産省が提唱したもので、排気量が350CC、500CC、最高速度が時速100キロ以上、定員4人などの条件を満たした車を各メーカーが競争開発し、最も優秀なものに補助金を出し集中生産しようというものだった。しかしダットサンで75万円、クラウンで95万円の時代に、販売価格が25万円という条件が壁で、夢の“構想”に終わってしまった。しかしこの構想に刺激されて、スバル360、パブリカ、サニー、カローラ、ベレット、コンテッサなどの車が各社から次々と登場した。

T型フォードにしてもフォルクスワーゲン(“国民車”の意味)にしても、乗用車の普及のために偉大なる役割を果たした。日本の国民車構想もこれにヒントを得たのではないかと私は推察しているのだが、日本のモータリゼーション、さらには日本の工業力の飛躍的な発展を加速させたことは事実だ。

またかつて、日本の初等教育を育成する方法のひとつとして視聴覚教育の強化が叫ばれた時期があった。使いやすく安い機器を商品化するために、1950年に設立された全国放送教育研究会連盟が「全放連型」と呼ばれるアンプやスピーカーなどの学校教育用放送機器の規格認定をした。これによって各校の放送設備が急速に整備された。

今IT革命を推進するために、次代を担う子供たちの教育改革の必要性が以前にも増して声高に主張されている。しかし何と言っても最大の問題は、費用の点だ。IT時代にふさわしい公共投資などの予算制度の議論が必要な一方で、安くて授業がしやすい「教育の現場で使いやすいPC」の開発に力を注ぐ必要があるのではないか。いわば、“eランドセル”“ネットワーク学習机”のようなイメージだろうか。

筆者は教育者ではないので、残念なことに具体的な提案をするための経験と知識を持ち合わせていない。門外漢としての発言を許していただけるとすれば、「学習用具として教育者と児童生徒に愛されるPCを作ろう」ということだ。つまり、詳しい説明をしなくても子供にでも操作が憶えやすく使いやすい、操作を間違えても多少荒っぽく使っても支障を来たさない、画面が絶対にフリーズしない、バッテリー寿命が長い、などが考えられるだろう。しかも重要なのは、現場の教師にとって学習指導がしやすいものであることだ。PCを規格型にすることによって、学校や教室、生徒、兄弟ごとにモデルが違っていたり、また購入時期によって仕様や操作方法が異なるのでは授業がしにくい。

たとえば設定の簡略化、大きい文字、使わないボタンの排除、キー配列の共通化、さらに学習に不要な機能を削除し、怪我の元となる接続ケーブルは使わない・・・・などについて工夫しなくてはいけない。

かつて筆者が小学校や中学校へ入学した時には、習字用具、工作道具、そろばん、体操着など、指定の教材を買わされたものだ。このIT時代、パソコンだけをかばんに携えて登校する風景も目に浮かぶ。

現在は均一の道具は毛嫌いされる時代だが、道具は規格品でも、利用方法や学習方法に個性化をすればいい。各社が開発した応募モデルを現場の教師グループが審査し、最優秀モデルを採用した学校にだけ補助金を出す・・・・。いずれ将来は、試験問題は生徒全員が持っているPCに一斉に無線でダウンロードし、生徒が回答し、時間が来たら答えは自動的に先生に伝送され、○×式などの問題は自動的に採点されるようになるかもしれない。

“国民PC”という名称が適切かどうかは別として、IT教育予算を増やすという札束行政ではなく、教育現場の声を反映した“国民PC”計画という教育環境の革新に向けての議論に力を注いでほしいと願っている。

 
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