![]() |
| 「会議中のノートPCに異論あり」 − 2001年1月29日 掲載 |
ノート型パソコンを持ち歩いている人が増えている。喫茶店でも駅でも、電車の中でも広げて使い、ひと時たりとも手離せない様子だ。会議や講演が始まる前の寸暇を惜しんで広げる人もいる。出張や外出の時にも出先でメールをチェックしたり、出張報告書を書いたり交通費の精算もできて、確かに便利だ。 ところが、ホールなどで開催されるカンファレンスでの講演やパネルディスカッションなどでも、演壇にノートパソコンを持ち込んで話す人が、最近になって特に増えてきた。プレゼンテーションの資料がハードディスクに入っていて大型プロジェクターに映し出すというのなら理解できる。しかしパソコンを壇上やテーブルに置いて、パソコンに入力された配布資料や講演用の手持ち資料を覗き見しながら話しをするのは、筆者には理解しがたい。 それというのも、パソコンの液晶ディスプレイが“A4サイズの壁”になって、講演者の顔が客席からよく見えないからだ。テレビスタジオで制作された討論番組でも、本番中にパソコンを持ち込んで卓上に置いて話すため、首から上しか画面に映らないことも珍しくない。 事前に準備してきた発言内容をチェックするのならば、あらかじめ内容を紙にプリントしてデスクに広げればいい。わざわざパソコンを持ち込む必要はないはずだ。だいいち持ってくるのに紙の方が軽いだろうし、電源に気遣いすることもない。 人には、視覚から得られる情報を重視する性格がある。だからプレゼンテーションのテクニックとして、自分自身の表情を相手に良く見せる配慮は欠かせない。アメリカなどでは、わざわざ演壇の前に出て全身を使って出席者に訴えかける人もいる。首から上しか、時にはマイクと水差しと花の間から、うつむき加減の額や頭だけしか見えない・・・・というのは、まるで出席者との間に自ら進んで壁を設け、影を潜めて講演をしているようなものだ。何かを訴える意思があるのか、疑問すら感じる。テレビ番組に出演したのなら、スッキリした映像作りに協力するのも、出演者の義務のひとつだと言えるだろう。 もうひとつ気になるのは、会議中にパソコンを使って議事の内容を必死になって入力している人がいることだ。とくに若者に多い。手書き文字入力方式のPDAを使っている人もいる。様子を見ていると、その人が発言をすることは稀だと気づく。つまり入力に夢中になるあまり、議論には入れない。両方の役割を全うするのは、無理な注文だ。もしも議論に加われば、“議事録”のうえで彼の発言の部分は空白となってしまうだろう。 会議に出席するということは、発言の内容を聞くだけではなく、その場の雰囲気を感じ取ったり、出席者の表情、駆け引きなどを観察するという重要な意味がある。液晶画面と「にらめっこ」をしていたのでは、その役目は果たせない。「議事録を作りに来たのか、議論をするために来たのかどっちだ?」と、つい聞きたくなってしまう。一部の出席者だけが議論を交わし、他の出席者が黙々とキーボードに向かっている風景は、筆者にとって異様な光景にさえ映る。 ノートパソコンを持ち歩いて時代の最先端を突き進むのも結構だが、必要な時に必要な目的に限って使うべきだ。ノートパソコンを持っていることがカッコイイという時代は、もう過ぎ去っている。希少価値もない。どうも時代の動きに過剰反応というか、使う本当の理由を忘れてしまい、ただ流行に流されている若者が増えているように思えてならない。
|
| HOME / トップへ戻る / 新しい記事へ / 過去の記事へ |