「メディアを切り拓いた伝書鳩」 − 2001年5月7日 掲載
 

 「伝書鳩」が、最先端の情報通信メディアを切り拓き、活躍していた時期があった。鳩を遠く離れた場所から空に放つと、その帰巣本能で、自分のネグラ(鳩舎)へ飛んで帰って来る。伝書鳩はその習性を利用したもので、新聞記者などが取材したメモや写真を指先ほどの小さな筒に入れ、鳩の足にくくりつけて情報を運んだ。

 通信を行うのに電気を使わないから、傍受されにくく軍用として幅広く使われ、また山岳救助や船舶通信にも利用されていた。この伝書鳩という情報伝達手段は、紀元前の古くから利用され始め、日本では1960年代まで現役だった(「伝書鳩 もうひとつのIT」黒岩比佐子著、文春新書)。

 この本の記述で私が驚いたのは、伝書鳩を使って双方向通信を行なっていたという点だ。鳩の帰巣本能を利用するのだから、通信用語で言う“単向通信” しかできない理屈だ。また発信場所(鳩を放つ場所)は変えることはきても、着信場所(つまり鳩の戻り先である鳩舎)を頻繁に変えることはできない。つまり鳩舎から発信場所までは人の手で鳩を運ばなくてはならない。事件や事故の現場は頻繁に変わるが、通信社の社屋は固定しているから、この通信手段が成立する。

 ところが、寝る場所(巣箱)と食事をする場所(餌場)を別々にして、訓練を重ねながら2つの場所の距離を徐々に長くしてゆくと、やがて2点間の双方向通信(往復通信)が出来るようになるそうだ。つまり、眠くなると巣箱へ戻りたくなり、腹が減ると餌場へ戻りたくなる習性を利用するわけで、この方法を使えば、返信を受け取ることもできるし人の手で鳩を運ぶ必要がなくなる。

 スイスの軍隊の伝書鳩部隊が廃止されたのは1994年だし、フランスが国家機密が漏れるとして1901年に定め、飼育の政府許可性、個人間の通信禁止、足につける鑑札の偽造防止などを定めた法律が改正されたのは1999年だから、つい最近のことだ。民間人が連絡を取り合って暴動を起こすのを避けるのも主旨だと思うのだが、有事への備えの厳しさは、日本人の感覚では理解しにくい。

 情報サービスの大御所であるロイター通信は、通信網の発達とともに相場速報のサービスエリアを拡大して行った。ロイターが情報サービスを始めて間もない1850年、パリからベルリンまで出来たばかりの民間通信網を利用して情報を送ろうとしたが、ベルギー国内の200キロ近い区間だけ通信線が敷設されていない。仕方なくロイターは、その区間を伝書鳩を使って情報を中継した。

 通信回線で送られてきた電文を鳩の足の筒に入るように小さい紙に手で書き写し、鳩を空へ放ち、受け取った相手側では人が読めるように手で大きく書き直して、再び通信回線に乗せて情報を送るという方法が取られた(「ニュースの商人 ロイター」倉田保雄著、朝日文庫)。今風に言えば、その区間だけ帯域の圧縮/解凍をしたわけだ。起業家の苦労が偲ばれる。あのロスチャイルドも1815年に、ナポレオン軍がワーテルローの戦いでイギリス軍に敗北した情報を、伝書鳩を使って誰よりも早く入手し、巨万の富を得た。

 鳩は平和の象徴といわれる。オリーブの葉を口にくわえた鳩が、たばこの“ピース”のマークにも描かれている。近代五輪のオリンピック憲章には開会式の進行手順が厳密に決められていて、鳩を使うことが義務付けられている。第1回の古代オリンピックに参加した選手が優勝の喜びを故郷の母親に伝えるために、自分で持って来た伝書鳩を使ったことがその由来になっている。

 最近の開会式は、照明を使った演出効果やテレビの視聴率の都合から夜に開催されることが多い。となると“鳥目”の鳩を使うことができないため、仕方なくビニールシートで型取った鳩を棒の先につけて手で差し上げてヒラヒラさせながら行進したり、鳩の形の風船を持って歩いたりと、工夫を凝らしている。昨年のシドニー五輪では、1羽の巨大な鳩の図案を書いた布をスタンドからゆっくりと流れ落ちるように降ろし、フィールドに並んだ選手団の頭上を手渡しで送る方法がとられていた。これで、国際平和を祈って行われるオリンピックの憲章の義務を果たしたことになる。

 以前に私は、「農林省が競馬をやっているのだから、情報通信を担当している郵政省も伝書鳩レースをやったらどうだろう」と、酒の席でアイディアを仲間に披露したものだ。後で気付いたのだが、空高く飛ぶ鳩は地上の“鳩券”を買った人には見えないし、鳩が互いに競争しているとは思えないから、「観客が金を賭け、レースを見ながら興奮する」というギャンブル性がない。最初われながら面白いアイディアだと得意になっていたが、公営レースとしては成り立たないと気付いて、口にするのをやめてしまった。

 メディアを切り開いた伝書鳩は、金融情報の伝達という形で民間利用され、戦場での伝令として軍事利用として活躍し、双方向通信、移動通信、長距離通信も可能となり、レース鳩といった形でエンタテインメント化して行った。これすなわち、電話や携帯電話の発展形態とピタリと符合する。軍事戦略を支え、報道や情報サービス産業を支えてきた伝書鳩は、次々と登場するメディアに対抗できないため過去のものになってしまった。今では「土鳩」化した鳩による“糞害”で嫌われ者になり、悲しい末路を辿ることになってしまった。

 IT革命やブロードバンドが発展する兆しが見えるなかで、次々と登場する新サービスや新メディアが、鳩に似た寂しい末路を辿ることなく、少しでも長生きできることを祈っている。

 
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