![]() |
| 「災害時におけるメディアの役割と“実力”(その2)」 − 2001年6月2日 掲載 |
災害時には、円滑な広報活動が重要だ。阪神大震災のとき、各電鉄の駅構内には、無数の貼り紙が柱、階段、柵などに所狭しと貼られていた。つまり、入試の日程変更、学校の授業の変更、支援物資の提供、社屋が倒壊したことによる出勤先の変更、ベビーシッターの依頼方法、腎臓透析ができる病院、肉親の安否確認情報、尋ね人、ベビーフードや老人食の提供、菜食主義者やイスラム教の人のための必要な処理をした肉の入手方法、希少な血液型の人の輸血方法――などの様々な情報が、英語は言うまでもなく中国語、ハングル、アラビア語などの言語も混じった貼り紙で伝達されていた。 NHKは震災発生後の約半年間、「どの地域は水道が復旧しました」などの災害復旧情報を字幕で終夜流していた。被災地の外の地域に避難している人や、肉親が阪神地域に住んでいる人にとっては役立つ情報だった。しかし、その内容は大きな誤解を生むものもあった。 放送で「復旧した」といっても、報道機関の取材元である各地の水道局が責任を持っているのは「本管まで」、つまり各家庭の「水道メーターまで」が回復したのであって、風呂や台所、トイレの水が出るかどうかは別問題なのだ。「水道メーターから蛇口まで」は各家庭の責任で補修をしなくてはいけないが、工事屋が手不足で修理に来てもらえない。「水道が100%普及した」という報道の中、人々は仕事を休んで水を求めてポリタンクを両手に抱えて走り回っていたのである。しかし全国の視聴者には、「水が復旧して、以前のような生活が出来るようになったのね。よかったね」という大誤解を与えてしまった。「全面復旧した」にもかかわらず、あちこちに給水車が出動していたことを、報道機関は不思議に思わなかったのだろうか。それとも、記者の自宅の蛇口からは水が出ていたからだろうか。 電気の場合も引込み線、もっと厳密に言えば「電気メーター」の段階までが「全面復旧」していても、敷地内や家の壁の中の電線が切れていては停電のままだ。電話線も電信柱まで復旧しても、停電だとビル電話や留守番電話は使えない。いわゆる“分界点”の先の家の中は「報道の対象外」で、自分で補修をしなくてはならない。 正確に報道したい局側と役立つ情報が欲しい側との間にギャップがあった。放送の取材は自治体などの公的機関からの情報を元にしているから、ある面で正確ではあるが、生活者の望む情報に合致していたかどうかには疑問がある。 多数の人に速やかに情報を伝える手段としてラジオが力を発揮する。しかし、国が認可した初の臨時災害FM局である“FM796フェニックス”が2月15日から3月末まで開局したものの、震災直後の情報過疎の早い時期に開局されなかったのが惜しまれる。避難所や仮設小屋の様子は頻繁に放送されるが、自分の家で孤立状態になって耐え忍んでいた多くの被災者のことは、あまり報道されないし、彼らに情報は届かない。 マスメディアは、「活断層がどうした、フィリピンプレートがどう動いた、死者の合計は何人、過去の大地震の例・・・・・・」などと時間を費やして丁寧に解説していたが、生きるか死ぬかの接点を彷徨っていた被災者には、むしろ反発を買ってしまう。被災地の人は、肉親の安否、今日・明日の食事や生活のことで頭の中が一杯で、活断層の状況や死者の合計には全く関心はない。第三者にとっては“ニュースの一項目”に過ぎないが、被災者にとっては生命の危機なのである。 危機が襲ってくると、当事者(被災者)は他を省みず、自らの生命を守るために秩序なく、本能的に行動をする。そこには、年齢も学歴も肩書きも経済力も関係なく、独自の判断で右往左往しながら行動する。被災者は、頼れる足元の情報を待っているのである。被災者の一人として、東京でテレビを見ていて、虚しさを感じたものだ。 マスメディアは、正確な情報を伝える努力を完遂しなくてはならない。それとともに、受け取る人が欲している情報を適時、適確に提供する努力が欠かせない。災害時の報道の際には、視聴率競争の荒波の中で築かれた放送の文化を、180度切り替えて取り組んでいただきたい。危機の際のメディアは、被災者が少しでも早く元の生活状態に復旧するよう機能する必要があるだろう。水害や火災などの直接原因を解決するとともに、それによって日常生活や経済活動に影響を受けた人々に最適な方向を示すという責務を負っているのだ。 各自治体が防災無線を整備しており、崖崩れや津波、水害などの災害が予測される地域に重点的に配備されている。特に危険性の高い地域の家庭には屋内器を配備し、緊急時には防災組織が一般家庭に対して速やかに情報伝達ができる体制が取られている。この屋内機は、防災を目的とした専用機のため単機能で大きく、価格も高い。一般に普及しているラジオやテレビ、ポケットベルと兼用にするなどしてコストダウンを図り、より広範囲に情報伝達ができるようにすべきだ。 都市機能や社会活動が複雑化するなかで、都市災害への対応を「地域社会の危機管理(リスクマネジメント)」として再認識すべきだ。大規模な危機が襲って来た時には、「災害時における情報の伝達手段」という限定した議論で収まる問題ではなく、地域社会における危機管理という観点から取り組む必要がある。 つまり有毒物質の流出や交通麻痺、通信網の麻痺、大規模停電、疫病、不発爆弾、原子力発電所事故、食中毒、交通網の途絶、環境障害・・・・・・などが発生した場合、都市機能が麻痺して、日常生活や経済活動が停止状態になり、孤立化する心配がある。人口密度が高く、コミュニティの連携が良くない都市特有の住民行動が予想されるだけに、メディアの役割は大きい。 阪神淡路大震災から6年余りが経った今もなお、全国紙の阪神地区の地方版には、広い意味で震災に関連した記事が半分近くのスペースを占めている。全国の読者は、恐らくご存知ではないだろう。都市型大災害が発生した時、地元のメディアは長期戦で臨む覚悟が要る。 都市化の進行とともに、全国レベルで見ると、都市災害は1年間に何度も発生している。政府の災害関連予算の編成も、自然災害本位から“社会災害本位”へ移行すべき時期に来ている。公共投資の概念を定めている財政法の見直しも含めて、設備投資の考え方を早期に見直す必要があるだろう。
|
| HOME / トップへ戻る / 新しい記事へ / 過去の記事へ |