「ネット時代における博物館の在り方」 − 2001年6月18日 掲載
 

 先日、上野の国立科学博物館で開催されていた<「情報世紀」の主役たち>という企画展を見に行った。通信や放送、コンピュータなどの発展の経緯を実物を揃えて紹介している。よくもこれだけを集めたものだと感心させられた。準備のご苦労が偲ばれる。業界の人と見受けられる人も多かったが、コンピュータのコーナーで、母親と男の子が手動式のタイガー計算機を使って夢中で計算に取り組んでいる姿がほほえましかった。

 「博物館入り」という言葉がある。長年使っていた機械や道具などを、もう十分に働いてくれたから新しいものに買い換えようというときに、多少の惜別の情を込めて表現する。つまり、博物館は、「使わなくなった古いものを並べて置いておく」場所のようなイメージがあることは否めない。しかし本来は、「古きを尋ねて新しきを知る」場でなくてはならない。

 最近の技術は、機械などを並べて見ただけでは、技術のツボが理解できなくなっている。トン・ツーの時代の通信機器であれば、それを見ただけで仕組みや原理が理解できたが、今や、半導体の中で全てが処理されているのが現実だから、一目瞭然とはいかない。動作原理をアニメ化するなどの工夫を凝らさないと理解ができない。「四角い箱が置いてあるだけ」の展示室になり、母親はおろか技術屋の父親ですら、展示品に関する子供の質問に適確に答えることは困難な有り様だ。

 パリのルーヴル美術館の「モナリザ」を見たことのある何人かに聞いたところ、「想像していたより小さかった」と異口同音に言う。つまり、本や教科書の写真などを見て充分に知っているはずのモナリザも、その“大きさ”に関しては、全く知らなかったのである。エジソンの蓄音機にせよ、ベルの電話機にせよ、ペリーが持って来た電信機にせよ、その時代のエポックとなった物は、一度は実物(あるいは復元したもの)と空間を共有して大きさや重さを自分の目で確かめておくことに重要な意味がある。それこそが、博物館の本質的役割のはずだ。実物展示に加えて、関連する情報で肉付けをしてこそ、「なるほど」ということになる。

 国立や県立などの博物館や資料館は税金を使って運営されおり、そこで収集された資料は納税者の所有物と位置づけるべきである。利用する権利は全ての納税者にある。したがって博物館が所有する基礎資料は、情報公開してインターネットのホームページで公開すべきだ。情報を死蔵していたのでは、税金の無駄遣いになってしまう。また東京で実物を展示するだけでは、東京以外の納税者にとってはデジタルデバイドとなり、公平性を欠く。地方の国税納税者にも還元するのが道理というものだ。

 過日、CDやMD、DVDなどの光記録メディアの発展の経緯を調べようとして、いくつかのブラウザを使って調べ回ったのだが、コレという良い資料には行き当たらなかった。今や、高価で場所を取る百科事典などを自分で買って情報を個人で所有するのではなく、必要とする時に外部のホームページにアクセスして基礎資料を取り込んで活用する時代だ。

 我々のような整備された資料室などを持つことのできない一般庶民が、いつでも、どこからでも、今で言う“ユビキタス”な状態でホームページにアクセスしさえすれば、調査や研究のための情報素材、基礎資料が手軽に利用できる体制を、ぜひ一刻も早く構築して欲しい。博物館が変身して、その役割を担うのが手っ取り早いだろう。現に、今年の4月に独立行政法人になって新しい道を歩みはじめた国立科学博物館が産業技術史をまとめている。VTRやコンピュータの歴史など、ひとつひとつの産業分野の発展の足跡を情報の面から集大成している。むろん情報公開がされ、だれもが自由にアクセスできることが不可欠だ。

 政府は、インターネット上だけで“インパク”と称する万国博を開催している。また兵庫県の教育委員会は、インターネット上だけの文学館を来年10月に“開館”しようと準備を進めており、建物のない公立の博物館は、全国初だという。実物や標本を展示する役割をもった<博物館>と、情報素材を提供する役割をもったネットワーク上の<館(やかた)>とも言うべき<博情館>を築き、“車の両輪”として機能し、探究心や向学心、知識欲を満たしてくれることを願っている。

 
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