「インターネットカフェの事業性を考える」 − 2001年10月15日 掲載
 

 国内各地にインターネットカフェがオープンしている。JR大阪駅構内に「X-Time」というのが9月10日にオープンしたので、インターネットカフェなるものに初めて立ち寄ってみた。場所柄、会員制ではないから誰でも予約せずに入ることができる。

 JR西日本の関係会社による運営だけあって、「乗車予定の電車の発車時刻までの空いた時間や、待ち合わせまでの時間をここで過ごしてほしい」というのが、ここのコンセプトだ。店には2万冊のコミック誌や雑誌を置いたコーナーなど、全部で65の座席があり、そのうちパソコンを置いた18席がインターネットコーナーになっている。100メガの高速回線が使える点がうたい文句だ。

 大阪へ出張した時にパソコンを持っていなくても、駅のコンコースの隅でWebの検索などができる。待ち時間を利用して報告書を書いたり、また訪問先の企業の下調べをしたり、出張の用件を済ませて帰路につく前に名所を訪ねてみよう思った時など、情報検索ができるのは確かに便利だ。

 「雑誌1冊分の価格で、出発列車を待つ間を…」という触れ込みだが、空き時間をつぶすにしては、利用料が30分で250円というのは少々お高い印象だ。昨年11月、ニューヨークにオープンしたパソコンの台数が800台という当時としては世界最大級のインターネットカフェ「イージーエブリシング」の利用料は、2時間で1ドルだそうだから、大阪の「X-Time」はその約8倍もするという勘定になる。実際問題、30分では本腰を入れた仕事はほとんどできないから、出張や旅行の際に現地の観光情報を調べたいのなら、駅の観光案内所やホテルで聞いた方がずっと安くて早くて楽だ。

 私は、空港にあるクレジット会社系の待合室をよく使う。利用料は無料の上、コーヒーやジュースは飲み放題で、パソコン自体は持ち込みとはいうものの電源は使い放題だ。ソファーの座り心地もインテリアも、スタッフの対応も、インターネットカフェと比較して格段にいい。

 一般的にコンテンツという世界では、利用料が無料のことが多く、数あるホームページの中でアクセスが有料なのは非常に少ない。というのも、本や雑誌、コンピュータソフトなどという“物”を手に入れるケースを除いて、情報を手に入れることに対して金を出すという社会的土壌ができていないからではないだろうか。

 情報と知識の宝庫とも言うべき図書館のほとんどは、利用料は無料で、情報を検索するのも本を借りるのもタダだ。図書館の本には一切触れず、静かでエアコンの効いた場所を借りて受験勉強をしたり、友達から借りた講義のノートを書き写したり、思索にふけったり、本を持ち込んで読書をするのもタダだ。

 雀荘や釣堀、ゲームセンターなどといったエンタテインメント系では、楽しんだ時間に応じて料金を支払うことについて違和感はない。しかし「情報検索」や「読書」といった類の世界では、利用時間に応じて課金する例は少ない。場所代で事業を営むインターネットカフェは、情報文化としては画期的な試みとも言えそうだ。これが口火のひとつとなって、調べものをしたり情報を手に入れるために場所を借り時間を過ごしたことに対して対価を払うという文化が認知されるようになるのだろうか。そうなると、将来のコンテンツ産業の様相も変化するに違いない。

 困るのは、自宅や仕事で使い慣れているソフトがインターネットカフェのパソコンにインストールされているとは限らないし、バージョンが違っていたりして、「サクサク」とはいかないことだ。しかも、アポや待ち合わせの時間を気にしなくてはいけないし、時間料金制ともなると、どうしても時計が気になってパソコンに集中しにくい。

 実のところ私が飛び込んだインターネットカフェは、パソコンの横にドリンクのメニューが貼られているというのに、コーヒーを飲みながらパソコンを使うことは禁じられている。恐らく、キーボードに飲み物をこぼしてトラブルになったりするのを嫌ってのことだろう。ソファーに座ってコーヒーを飲むと、場所代にコーヒー代が加算されるから、時間つぶしとしては、贅沢な過ごし方になってしまう。

 漫画コーナーという強い誘惑を横目に、今から訪問する取引先についての情報武装をするという硬軟の異文化が同居した不自然な環境・・・・・と私には思えた。加えて、ゲームセンター感覚のオレンジ色を基調とした内装では、調べ物をするには、どうにも落ち着かない。

 さらに心配なのは誘拐や恐喝、あるいはサイバーテロといった犯罪などの温床にならないかという点だ。インターネットカフェから恐喝メールやウイルスを撒き散らす輩が出てこないだろうか。プリペイド式のケータイが、加入続きなどをしなくても使えるという点を利用して、昨今、犯行の手口として使われる例が増えている。インターネットカフェも公衆電話と同じで、利用する際に身分証明書を提示するわけではないから、この点ではプリペイド式のケータイと同じだ(プリペイド式の携帯電話では最近、購入時点で運転免許証など身分を証明する物の提示が義務付けられている)。

 またインターネットカフェのパソコンには、自分の個人情報やWebで検索した内容が記録されたままになり、悪くすると外部へ漏れる可能性がある。たとえばホテルの部屋に備えられた無料で使えるパソコンや、国際空港などで貸し出しをしているレンタルのケータイでも、自分が使ったあと見ず知らずの他人が使うことへの不安感が残る。インターネットカフェのパソコンも同じで、自分が使った履歴が本体の中に残ってしまうことを念頭においておく必要がある。「駅前公衆PC」の発想は便利そうに思えるが、不特定多数を相手とするビジネスとして生きる道は容易ではない。

 ネット接続のパソコンの普及率が低い頃は、「パソコンが使える」と言うだけでインターネットカフェの存在意義があったかもしれないが、もはや時代は変わっている。必要な人はノートパソコンを持って歩いている。ケータイを使ったメールがこれだけ普及すると、公衆電話ならぬ「公衆メール拠点」というニーズも少ない。一般公衆がパソコンを借りて自由に使えるインターネットカフェの先行きには、事業として一抹の不安が残る。ビジネスモデルを根本的に見直す必要があるかもしれない。

 
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