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| 「インターネットと新聞の“新しい関係”」 − 2001年12月10日 掲載 |
新聞は、放送をはじめとした報道機関や活字情報社会を牽引し、長年にわたって、メディア分野におけるリーダーの地位に君臨してきた。また新聞には、古くから受け継がれてきた文字文化としての権威がある。論文などで参照する場合にも、「○年○月○日付○○新聞」というと信頼性はあるが、「○年○月○日放送の○○テレビの○○番組」と明記しても根拠性が弱い。ラジオやテレビのような情報が空中へ消え去ってゆくメディアと比較して、紙に印刷された文字を基盤とした新聞とうマス媒体は、長期間の保存が可能で多くの人が参照できるからだ。 しかし、その新聞というメディアの存亡が問われるようになってきた。私の知人にも、家で新聞を取るのをやめた人がいる。勤め先で取っている新聞やデスクのパソコンに直接届くメールマガジンに目を通せば業界情勢はつかめるし、社会情勢も朝晩のテレビを見れば十分だ。詳しく調べたければWebに当たればいいし、その方が新聞よりも安い。コスト意識が厳格になってきた企業でも、新聞代が経費削減の第一の槍玉に会うことが多い。 産経新聞が、首都圏での夕刊の発刊を来年3月末で廃止するとの報道があった(2001年11月8日、日経新聞)。インターネットの普及などで、首都圏での夕刊の読者が減少していることが原因のようだ。夕刊を廃止するのは主要紙では初めだそうだが、地方紙でも夕刊廃止との報道があり、新聞業界に押し寄せる風は冷たい。 アメリカでも、読者の活字離れを引き止めるのに必死で、大手各紙が早くからインターネットを使った電子新聞化に取り組んでいる。なかでも、米国のカリフォルニア州サンノゼ市に拠点をもつサンノゼマーキュリーのThe Mercury News紙が熱心だ。それぞれの記事には「参照番号」がついていて、Webで本紙のサイトを検索するとその記事の詳細が掲載されている。限られた紙面に、少しでも多くの本数の記事を掲載するか、逆に記事項目を減らして各々を詳しく掲載するかは相矛盾する選択だが、インターネットを活用することにより記事の本数を増やし、なおかつ詳しい報道も出来るというシナジー効果が得られる。 国内でも96年に、産経新聞社がフジテレビの地上波の送信電波にデータを多重して配信する「E-NEWS」という電子新聞のサービスをしたことがある。新聞記事の文字情報を電波で送って受信機で受け、端末に送り込んで液晶画面に表示するというもので、世界初の試みとの触れ込みだった。しかし、専用の受信端末を使うことやモノクロの文字情報だけであったこともあって盛り上がらず、早々とサービスを取り止めてしまった。 産経新聞社はE-NEWSの経験を生かして、97年9月から「電子朝刊/夕刊」と「産経Web-S」を始めた。後者は、新聞情報をカラー写真やイラストも含めた新聞の紙面と同じイメージで表示するものだが、同様のサービスは最近、ニューヨークタイムスも始めている。 98年、長野で冬季オリンピックが開催された時には、新聞各社が、PDFやHTMLメールを使った画像ファイル付電子新聞のトライアルを行うなど、各社は生き残りを掛けて電子新聞の研究をしている。さらに産経新聞はこの9月から、ブロードバンド環境で画像形式の紙面が読める電子新聞、「新聞まるごと“電子配達”(ニュースビュウ)」の商用サービスを始めている。 これらのサービスでは、紙面の一部を拡大したり、スクロールしたり、広告欄をクリックして広告主のサイトへ飛んだりできる。深夜に購読契約者に向けて自動配信され、読者が朝起きてパソコンを立ち上げると“新聞が宅配”されているという仕掛けだ。つまり新聞社で電子化が遅れていた印刷以降のプロセスが電子化されることになり、戸別配達も必要がなくなる。 韓国には、昨年の2月に開始した「オー・マイ・ニュース」と呼ぶインターネット新聞があり、今や1日のヒット数が65件にも及ぶ急成長ぶりなのだそうだ(2001年9月29日、朝日新聞)。この新聞は、1万4,000人もの一般市民記者から寄せられた情報を編集部が選択・編集して、インターネットに掲載している。市民が本当に求めているのは、プロの新聞記者が取材して書いた記事よりも、市民が街から拾ってきた“草の根情報”なのかもしれない。 急激に拡大しつつあるブロードバンド時代になって、新聞界にも、文字組が電子製版になった時以来の大変革がやってきたことは確かだ。 将来は、携帯電話で情報を受けて汎用性のあるPDAに表示して、画面に表示された新聞情報を読むといったサービスが提供されるにちがいない。文字だけではなく、音声や写真、動画による情報も提供され、再生するだけではなく、自分が関心を持っている記事のキーワードや項目などを事前に設定しておけば、その情報に関連するものだけが詳しく表示される――といったサービスが実現するのは間近だろう。過去の情報に遡及してスピーディにチェックできるようになると、スクラップブックも必要がなくなる。 このように新聞を、紙に印刷して配送する形態から電子メディアによる配信へと乗り換える試みが行われているのだが、電子メディアの最大の弱点は「読むための機器」が必要なことだ。満員電車の中でつり革にぶら下がりながら新聞を読んで、「あとは会社のゴミ箱にポイッ」という具合にはいかない。 人間は、本来“なまけ者”だから、朝起きると自分の家の郵便受けに届いていて、読むための道具を必要としない“プッシュ型メディア”である新聞の役割は大きい。毎日、5,000万部を超える新聞が世に送り出され、そのうちの93%が戸別配達されているというから、日常生活に浸透した新聞が急に衰退するとは思えない。仕事で読む新聞の電子化は歓迎なのだが、家で読むとなると、筆者は新聞紙に印刷された今の方が手軽でいいと思う。機能と目的が異なる両者を分けて議論しないと、混乱が生じてしまう。 ソファに座って大型スクリーンに映し出された記事を読む姿が未来の生活像として描かれることが多いが、そんな時代は我が家にやって来て欲しくない。森林資源の保護という観点からすると、問題はあるかもしれないが、安くて持ち歩きのしやすい新聞は、日常生活に最も親しみやすい情報源だ。 今の新聞は“新情報を読む”メディアだ。しかし、記事を読み上げてくれるようなサービスが今後出てくれば、“新情報を聞く”という文字通りの「新聞」になるのだが……。 |
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